壊れてしまった弁護士たち

若手弁護士に実際に起きた出来事を、個人を特定できないように相応のフィクションを交えながら紹介していきます。

カテゴリ: #4 モチベーション

 丁弁護士は、有名国立大学を出て、在学中に司法試験に受かる優秀な人材であった。俗に言う勝ち組として、弁護士としての第一歩を歩み始めていた。将来は、留学して、米国の弁護士資格を取ろうなどと考えていた。
 ある日、事務所会議で、丁弁護士の作った報告書につき、「なかなかよく出来ている。」と評価され、同期入所の他の弁護士に対して、「参考にするように。」という話が、パートナー弁護士からされた。丁弁護士は、気分良くなっていたところ、別のパートナー弁護士から、「我々にとっては、普通だけども。」というコメントがなされた。
 この「普通」という言葉が、丁弁護士の心に大きく響いた。「普通」という言葉が木霊のように心の中で響いていた。丁弁護士は幼い頃から、「優秀」とか、「たいへんよくできました」とか、褒められ、褒められして、その言葉をモチベーションとして、成長してきたのであった。褒められれば褒められるほど、やる気がどんどん出てくるタイプであった。この時は、次は褒められるように頑張ろうと思い直して、木霊を押さえこんだ。
 しばらくして、共同受任している事件の準備書面の起案をパートナー弁護士に添削してもらったところ、「センスがいいね。」と褒められた。丁弁護士は、褒められたので、内心ほっとしたところ、「もうちょっとで、一人前だね。」と言われてしまった。思わず、「半人前ですか。」と聞いてしまったところ、「0.8人前かな」と返されてしまった。丁弁護士は、0.8人前では、普通以下ではないか、と思い、顔が青ざめてしまった。顔色が変わったので、「大丈夫。」と言われたが、「寝不足なので。」と誤魔化したが、この時も、心の中では、「0.8」が木霊して、だんだん木霊が大きくなっていった。
 丁弁護士は、どうして、皆が褒めてくれないのだろうと、真剣に考えてしまった。意地悪をしているのかな、などと、自分に都合の良い理由を探そうとしたが、どうもそのようなことはないと思えた。(続)
    このエントリーをはてなブックマークに追加

 その後、時を追う毎に、褒められることが減っていき、書面を提出しても、「後で見るからそこに置いておいて」と言われ、訂正されたものが帰ってくるだけになった。丁弁護士としては、自分の仕事に対する評価を聞きたくて聞きたくてしょうがなかったが、敢えて聞くと、また、余計なことを言われるのではないかと思い、聞くことができなかった。誰も褒めてくれない環境の中で、丁弁護士のモチベーションはどんどん落ちていった。
 ある日、パートナー弁護士から呼び出され、「体調でも悪いのか。」と聞かれた。「いいえ。特に。」と答えると、「それならばいいけど、最近の書面はできが悪いよ。」と言われてしまった。「最初の頃は見所があったのだけど。」とも言われた。丁弁護士は、思わず、「頑張ります。」と答えたが、「できの悪い」という、生まれて始めての言葉に、非常にショックを受け、立っているのが精一杯であった。
 この日から、丁弁護士の思考回路は、どうすれば、褒められるのか、の一点に絞られてしまった。色々と考えているうちに、丁弁護士は、今までの人生は、単にテストで100点をとったことや、入試に合格したこと、授業での発言が良かったことだけであることに気づいてしまった。テストであれば正解があるが、実社会では必ず正解があるわけではなかった。また、文章の書き方も良い書き方はあっても、必ず一つの表現ではなかった。あるパートナーの好みの文章が他のパートナーが好みとは限らなかった。そのことに気がついた途端、今まで何も考えずにすらすらと出てきた文章が、どう書けば好まれるかを考えると、全く書けなくなってしまった。法的な発想も、八方美人的な答えしか言えなくなり、「誰の仕事をしているかを理解しているのか。」などと、叱責を受けることすら出てきた。丁弁護士としては、一言褒めてくれれば僕は生き返るのに、という思いで、日々を過ごしていた。仕事はどんどん滞り、内容もひどくなる一方であった。
 丁弁護士のあまりの変容に、ある日、パートナー弁護士が、「何か悩み事でもあるのか。」と丙弁護士に問いかけてきた。丙弁護士は、ついつい「僕は褒めてもらわないとモチベーションが上がらないのです。」と蚊の泣くような声で答えた。パートナー弁護士は一瞬絶句した後に、「子供みたいなことを言うなよ。」と一笑に付されてしまった。丙弁護士は「本当なんです。」と恨めしそうな顔で懇願した。すると、「分かった。分かった。」と言って、軽くいなされてしまった。
 翌月、丙弁護士は解雇された。 (完)
    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ