壊れてしまった弁護士たち

若手弁護士に実際に起きた出来事を、個人を特定できないように相応のフィクションを交えながら紹介していきます。

カテゴリ: #6 幽霊屋敷?

 己弁護士は、主に不動産管理を業務にしている事務所に入った。登録して間もない頃、競落不動産の明渡の仕事を任された。事件記録を見ると、住民票は残っているが、どうも誰も住んでいないようで、特に問題はないようだった。ボス弁からは、何のトラブルもなさそうだが、今後の勉強のために手続を一通り採るようにという指示を受けた。不動産の事件はまず現場を見ることという指示を受けて、管理会社の人と鍵屋さんとで、現場に赴いた。
 現地は、事務所から小一時間ほど電車に乗って、駅から、タクシーで15分ほどかかった。住宅街を抜けて、人家がまばらになってくるあたりに、当該物件があった。
築年数は、登記簿上30年で、どちらかというと古い洋館の趣があった。
 管理会社の人に、「どうして競売になったんですかな。」と聞くと、「よく分からないけど、何年か前から税金が溜まっていたのと、カードローンが若干あったみたいだよ。」と言った。「でも、売買代金でおつりが出たから、競売にしなくても良かったんじゃないかな。」と付け加えた。己弁護士は、そんなこともあるんだと思ったが、特に気にしなかった。
 鍵屋さんに鍵を開けてもらって、中に入ると、結構、埃が溜まっていた。管理会社の人が、「これは夜逃げかな。」などとつぶやきながら、一部屋一部屋覗きだした。己弁護士は、埃が溜まっているが、所々足跡があるので、「この足跡は誰かいるのではないでしょうか。」と聞くと、管理会社の人は、「執行官が歩き回ったんだよ。」と特に取り合わなかった。己弁護士は改めて足跡を見ると確かにそう思えたが、中には、子供のものと思われる小さい足跡もあって、少し気になった。どの部屋にも、家具はそのまま置いてあって、埃がなければ、誰かが住んでいるように見えた。リビングには、飲みかけと思われるコップがそのまま置いてあり、中はひからびていた。
己弁護士は、「なんで、コップがあるんですかね。」と聞くと、管理会社の人は、「さあ?」と言って、首を傾げた。
 窓の少ない家で、電気を止められているため、暗い部屋を回っているうちに、己弁護士は、ある部屋で人影のようなものが見えたので、ビクッとした。よく見ると、ガウンが掛かっていたので、ほっと胸をなで下ろした。己弁護士は、幽霊だのお化けだのを信じるタイプではないが、家の暗さと静けさから、少し嫌な気分にはなっていた。管理会社の人と鍵屋さんは、何も気づかないようで、「家は、しっかりしているけど、物を出すのに、結構金がかかりそうだね。」などと、今後の準備の話をしていた。
 己弁護士にとっては、初めての明渡事件であり、管理会社の人が部屋を開けるたびに、何かいるのではないか、とおそるおそる覗いていた。2階の寝室に入ったところ、ベッドの上に、大きな黒いシミがあった。思わず、血ではないかと思ったが、口に出すと、もっと気味が悪くなるので黙っていた。管理会社の人は、「このベッドは、玄関から出るかな。」などと、明渡の準備のことばかり気にして、黒いシミにも気づかないようであった。一通り、見終わって、管理会社の人が、「4トンかな。」などと、言っていたが、己弁護士としては、洋服ダンスの中に、そのまま洋服が入っていたり、食器棚に食器が揃っている方が気になり、ずっと何故だろうと考えていた。
 考え事をしていたせいかもしれないが、己弁護士は、大事な記録をその家に忘れてきてしまった。(続)
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 事務所に戻って、記録を忘れたことに気づき、管理会社の人に連絡をすると、「合い鍵を作りましたので、これを渡しますから、一人で取りに行って貰えますか。私はこれから、別の仕事があるので、おつきあいできません。申し訳ない。」と言われた。明渡の準備を急いで欲しいと言われていたので、夜、取りに行くことにした。夕方、来客があったため、事務所を出るのが、8時過ぎになり、コンビニで懐中電灯を買って、家に向かった。
 駅に着くと、タクシーが1台だけ止まっていた。場所を告げると、運転手から、「お客さん、何しに行くのですか。」と聞かれた。怪しまれて警察でも呼ばれたら、面倒なので、正直に仕事の話をした。すると、「あそこは、幽霊屋敷と言われているんですよ。」と言い出した。「冗談は止めてください。」と言うと、真顔で、「私たちは、夜あそこは通らないようにしているんですよ。」と言って、口を噤んだ。その沈黙が、さらに、己弁護士を不安にさせた。家に着くと、「5分で戻りますから、待っていてください。」と言うと、運転手は、無言で頷いた。
 家の中に入ると、早速、記録を探し始めた。己弁護士は、自分の記憶では、リビングの机の上で、記録を読んだような気がしていたので、リビング目指して、中を進んでいった。リビングに着くと、机の上には、記録を置いたように、四角い跡があった。ところが、記録はなかった。どこに置いただろうと思い返してみたが、思い浮かばず、やむを得ず、一部屋一部屋探すことにした。暗い部屋を懐中電灯で照らしながら回っているうちに、誰かがそばにいるような気がしてきた。全部の部屋を回ってみたが、どこにもなかった。もう一度全部の部屋を回ってみたが、どこにもなかった。しかも、今度は、自分の目の前を何かが通ったような気がした。記録をなくしてしまったという失敗に、責めさいなまされて、何度も何度も、恐怖と戦いながら、家の中を歩き回った。ふと、気がつくと、2時間も探し回っていた。窓から外を見るとタクシーはいなくなっていた。突然、一人になった孤独感から、怖い、という気持ちが増幅した。闇に押しつぶされそうな重圧感が襲ってきた。それでも、記録を探そうとする義務感から、重い足を上げて、部屋を回り出した。何度目かの時に、ふと洋服ダンスの上を見上げると、記録が置いてあった。安堵のため息をついて、手を伸ばしたところ、突然、背後でドアがバタンと閉まった。びっくりして後ろを向こうとしたところ、懐中電灯の電池が切れた。
 翌日、黒いシミのベッドで寝ている己弁護士が見つかった。己弁護士は、何があったかは言わなかったが、明渡の仕事は二度としなかった。(完)
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