壊れてしまった弁護士たち

若手弁護士に実際に起きた出来事を、個人を特定できないように相応のフィクションを交えながら紹介していきます。

カテゴリ: #8 町医者にあこがれて

 辛弁護士は、町医者のような弁護士になりたいと思い、ある程度修行を積んだら、田舎に帰って、独立することを考えていた。ある事務所に就職が決まり、ボス弁はいわゆる一般民事を主としていて、あこがれの町医者タイプであった。ボス弁から、「君は町医者のような弁護士になりたいの。それなら、まず、離婚かな。」と言われ、たまたま相談に来ていた新件を任された。40代後半の女性の依頼者で、結婚歴20年で、夫との相性が悪いとして、離婚を希望していた。面談の前に、ボス弁から、「最後にいつセックスしたかをきちんと聞いておくんだよ。」と言われた。半分冗談かなとも思ったので、一応、「はい。」と答えたが、その場で忘れてしまった。
 面談において、依頼者は、お見合い結婚のため、最初はよく分からなかったが、色々な面で、夫との相性が合わないと言うことを懇切丁寧に述べ、最初の聞き取りには、3時間を要した。しかも、まだ言い足りないことがあるようだったので、ノートにまとめてきて貰うことにした。次回の打ち合わせで、ノート一冊まるまる不平不満が時系列に書かれていた。あまりの詳細さに驚いて、辛弁護士は、「日記でもつけているのですか。」と聞くと、「はい。」と答えた。「一度日記を見せて貰えますか。」と言うと、「色々と恥ずかしいことも書いてあるので、裁判で必要なときにお見せします。」と言われてしまった。辛弁護士は、詳細な陳述書を作成した上で、家庭裁判所に離婚調停を起こした。
 第1回の調停期日で、依頼者は縷々不平不満を述べ、話が長くなりそうだったので、陳述書を渡して、調停委員に読んで貰うことにした。相手方の話を調停委員が聞いた後に、辛弁護士と依頼者が呼ばれた。調停委員が、少し笑いながら、「奥さんは、昨日、旦那さんとセックスしたらしいけど、本当かな。先週もしたと言っていたけど、どうなの。」と問いかけられた。すかさず、依頼者が、ほんのり赤くなりながら、「はい。」と答えた。すると、調停委員が、「あなたは、本当に離婚したいほど、旦那さんが嫌いなの。嫌いなのに、セックスしちゃうの。」と突っ込んできた。すると、依頼者は、「最近、夫が冷たかったので、私のことを嫌いになったのではないか、と思い、確かめてみたかったのです。」と言い出した。調停委員は、「じゃあ、今のところは離婚しなくてもいいのかな。」と聞くと、「はい。」と答えた。調停委員が、辛弁護士の方を向いて、「先生、よく話を聞いてから手続起こしてくださいよ。」と嫌みを言った。この日で、調停は不成立で終了した。(続)
    このエントリーをはてなブックマークに追加

 手続終了後、辛弁護士は、依頼者に、「なんで、セックスのことを教えてくれなかったの。」と聞くと、「先生が聞かないから。」とあっさり答えた。「もしかして、日記にはそのことが書いてあったの」とさらに聞くと、「はい。」と言われた。
 事務所に戻って、報告をすると、「ほら、きちんと聞かないと恥をかくだろ。」と笑いながら言われた。
 少し経って、また、離婚の依頼者が来た。今度は、夫の浮気が理由であった。夫のメールを覗いて、分かったらしい。依頼者はメールをノートに写し、時間を追ったやりとりが出ていた。内容は、どうもその女性とつきあっている雰囲気が感じられた。メール以外に証拠はないと言われ、辛弁護士は、素行調査をするか確認したところ、お金がないので、やらないこととなった。メールでは不十分であることを説明したが、どうしても、離婚調停をして欲しいと懇願され、申立をすることとなった。浮気事件だから、セックスのことなんか聞かなくて良いと思って、辛弁護士は、やはり、聞かなかった。実は、辛弁護士は、独身であり、聞きづらいというところが本音であった。第1回の調停期日で、浮気の証拠として、メールの写しを提出した。相手方の話を調停委員が聞いた後に、辛弁護士と依頼者が呼ばれた。調停委員が、少し笑っているのを見て、辛弁護士は嫌な予感がした。案の定、「奥さんは、昨日、旦那さんとセックスしたらしいけど、本当かな。」と問いかけられた。辛弁護士は、前の調停と同じ問いかけに絶句してしまった。依頼者は、少し黙っていたが、小さい声で、「はい。」と答えた。調停委員は、「ご主人は、メールのやりとりはあるけれども、浮気はしていないと言っているのだけど、どうして浮気と思ったの。」と聞いてきた。すると、依頼者は、「最近セックスの回数が減ってきたので、浮気していると思いました。」と言い出した。「うーん、それでは、裁判で証拠にならないよ。ところで、どのくらいすれば良いのか。」と調停委員が言い出した。依頼者は下を向きながら、「毎日。」とつぶやいた。調停委員は聞こえないふりをして、「今日家に帰ってご主人とよく話し合いなさい。調停は不成立でいいね。」と言って、依頼者は、「はい。」と頷いた。
 手続終了後に、辛弁護士が、依頼者に、「浮気と思った理由が回数が減ったことをなんで言ってくれなかったの。」とと聞くと、「先生が聞かないから。」と怒った顔をして答えた。(続)
    このエントリーをはてなブックマークに追加

 辛弁護士は、2回連続して、失敗したことを大いに反省し、次からはきちんと聞こうと決意した。また、しばらくして、離婚事件が来た。50代後半の女性で、夫の定年が近いので、離婚したいとのことであった。不平不満は山のようにあるみたいで、ノートにまとめて貰うことにした。辛弁護士は、今度はきちんと聞こうと思って、意を決して質問をしてみた。「ご主人と最後にセックスをしたのはいつですか。」依頼者は、「まあ、そんなことを答えなければいけないのですか。」と少し恥ずかしそうに体をくねらせた。辛弁護士は、ますます真面目な顔をして、「これは非常に重要なことですので、本当のことを言ってください。このことによって、離婚できるか否かが決まりますので、答えてください。」と強く問いかけた。依頼者は、「もうそんなことは忘れてしまいました。こんなおばさん誰も相手しないわよ。」と笑って答えた。辛弁護士は、聞いている自分が恥ずかしくなっていたが、さらに、「本当ですか。先週とか、昨日とか、していませんか。」と追求してしまった。「先生、おかしくないですか、そんなことがあれば、相談に来ませんよ。」と半分怒った様子で答えた。辛弁護士もそうだなと思ったが、最後に、「毎日セックスしないといけないと思っていますか。」と聞いてしまった。依頼者が、目を丸くして、激昂して、「先生、変態じゃないんですか。もう頼みません。」と言って、帰ってしまった。ボス弁にそのことを報告すると、「物事には聞き方というものがあるんだよ。」と笑われてしまった。辛弁護士はどうすれば、うまく聞き出せるんだろうと思い、色々な質問を考えてみた。セックスではなく、性交渉とか、交合とか、別の言葉を思い浮かべてみたり、どのタイミングで聞くか、など。顔つきも、ニヤニヤしながら聞くか、真面目な顔で聞くか、など。ただ、どうしても、聞くのが恥ずかしいという気持ちが変わらなかった。
 ある日、20代後半の女性の離婚事件の依頼者が来た。(続)
    このエントリーをはてなブックマークに追加

 こんな綺麗な人が何故離婚なのかな、などと思いながら、話を進めていた。辛弁護士は、色々と事情を聞きながら、そろそろ、核心に触れようとして、「ところで、最後に、セッ」と言ったところで、言葉が止まってしまった。「いや、あの、セッ、セッ、セッ」と「クス」が言えなくなってしまった。突然の吃音に、怪訝そうな顔をした依頼者が、「先生、どうかしましたか。」と言ってきたが、辛弁護士は、「セッ、セッ、セッ」を繰り返すばかりで、言葉が出なくなってしまった。辛弁護士は、何か他のことを話そうとしても、頭の中で、「セッ、セッ、セッ」がぐるぐる回るだけで、どうにもならなかった。異常な雰囲気に事務員が気を利かせて、依頼者には引き取って貰った。
 ボス弁が、「辛君どうしたの。」と言われても、「セッ、セッ、セッ」と言う言葉しか出なくなってしまった。「君落ち着いて。」と言われても、辛弁護士はパニック状態に陥ってしまった。「とりあえず、今日は帰りなさい。」と言われ、家に帰った。
 翌朝、辛弁護士は、同じ台詞を話してみようと思い、「ところで、最後に、」まではきちんと言えた。次に、セの字を言おうとして、思いとどまった。もし、言おうとして、永久に「セッ」と言うのではないかと不安がよぎったからである。(完)
    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ